今の気持ち

多分、自分は変わりたい。

 

柿次郎さんみたいになりたい。

増田先生みたいになりたい。

 

特に柿次郎さん。

彼には生きる力を感じる。

 

好きな所に行って。

好きなことをして。

 

土地を愛し。

土地に住まう人を愛し。

土を愛し。

生を愛している気がする。

 

対して私の現状を見てみると

 

ずっと地元暮らし。ここは好きな土地。

だけど縛られている気もする。他を知らない。

好きなことはテレビゲーム。

けどそれもやりたいソフトがなく、昼間から酒を飲んで時間を浪費していることがある。

…もっと好きなものがあった。

姪、甥。

子どもが好きだ。

かわいい。嘘がない。全力で生きている。打算がない。一生懸命。日々成長している。

子どもは奇跡の塊みたいだし、可能性だし、未来だと思う。

当たり前のことばかりだけど、この年になって本当の意味で理解した。

やはり、体感しないと私は物事を理解することが出来ない。

 

土地を愛していたが未来が見えず。

土地に住まう人の現実を知り、更に絶望し。

それでも、大事な人が帰ってくるこの土地は大好きだ。

 

生は好きだ。

おいしい食事とか、健康になれるものには興味がある。

でも人生楽しくないから私が長生きしたいとは思わない。

好きな人たちに長く生きしてほしい。

 

好きなことをしていたら、好きなところに辿り着いている、みたいな記事が柿次郎さん関係であった。

 

胸に刺さった。

 

増田先生の記事でこんなことを言っていた。

 

社会システムが成長するほどに、人間個人は弱くなっていく。

この状況に無自覚のまま生きていくと、

いざという時、何の役にも立たない人間になってしまう。

そう、なりたくないから、私は起業家という生き方を選択し続けている。

 

 

胸に刺さった。

 

 

何の役に立たない人間

 

現状維持することはラクだ。

ただ、そこに私の人間としての成長はあるのだろうか。

誰かに必要とされる、役に立てる人間になれるのだろうか。

 

好きなことをするって勇気がいる。

選択をすることだからだ。

流されず、自分の意志決定をすることだからだ。

 

 

柿次郎さんや、増田先生の真似事をして、こうして文章を綴っている。

 

…久しぶりに、文章を書いている気がする。仕事で文書作成をするが、全然違う。

気持ちを吐露する機会って案外少ないんだな。

中学生の頃の日記とか、黒歴史作詞以来に文章を書いているがする。

 

そして内容も、中学生の日記とあんまり変わっていない気がする。

 

実家にいまだに当時の日記とか詩は残っている。

普通の人からしたら恥ずかしくて処分したいものなんだろうけれど、

私は今見ても『そんなに悪いモンでもねえな。笑』と思ったからだ。

日記は思春期特有の青臭さはふんだんにあるが、

当時の私は

 

『友達がいる。なんにも持っていない私だけど、友達には恵まれた。』

 

こう綴っていた。(そんな彼らとも疎遠になってしまったが。)

 

 

そういうことか。

私の本質は。

やはり文章はいい。

書き綴っているうちに核心が見える気がする。

 

 

私は、尊敬出来て、信用できる仲間と、自分の足で立って、自分の手で出来る人生を歩みたい。

 

 

それが出来ている気がするのが彼らだったんだ。

 

私にできることってなんだろう。

柿次郎さんの記事で『幹事とか、掃除とか、みんなが面倒だと思うことをやれ。その領域で自分の好きなこととかできることをやれ。それがなにもない自分の出来ることとなる。』

と言っていた。

 

私に出来ること、生きる力はない。

なにもない。

いわゆる役に立たない人間だ。

 

私の生きてきた経験で、面倒なこと、誰もやらないことってなんだろう。

 

真似をするだけじゃダメなんだ、きっと。

私は31歳だ。変わるには残された時間が短い。むしろもう遅いかもしれない。

 

なにが出来るか。

どうすれば、自分の人生に納得が出来る生き方が出来るのか。

考えろ。

いや、考えんな。

DOだ。やっていかなくちゃいけない。

 

ああまた真似ばかり。

 

それでも刺さる言葉が多すぎるんだ。

 

 

 

 

 

あんまり個人名出すのよくないけど書いちゃおう。

ただの日記だ。