やってこ!シンカイの「発信orDIE」に参加したよ。

7月15日14時。 

シンカイ金物店にて「発信orDie」トークイベントが開催された。 

 

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わざわざ 平田さん、うなぎの寝床 白水さん、ALL YOURS 木村さんを迎え、柿次郎氏がファシリテーターを務める。 

筆者はシンカイに行くことも、こうしたイベントの参加者になることも初めてだった。 

そうしたことも踏まえ、レポートというよりはレビュー、いや、体験談として書いていこうと思う。 

 

イベントには東京、大阪、新潟、あと私は茨城。様々なところから参加者が集った。 

当日は35度近く気温が上昇した真夏日。柿次郎様のお心遣いでシンカイの井戸水が参加者にふるまわれた。個人的に「同じ釜の飯を食った仲間」じゃないけど、少しお近づきになれたみたいですごく嬉しかった。あざす。 

 

まず、イベントの始まる前に柿次郎氏からこう指示があった。 

「今日のイベントは発信orDIE。つまり、今日のことを発信しないと死ぬからね!皆Twitterとかでリツイートしてね!」 

なのでこうして私も発信してみようと思います。 

 

 

まずはお三方の自己紹介と関係性等についてご説明いただき、今回のイベントの開催の経緯についてお話いただいた。 

なんと「発信orDIE」の開催が決まったのは約7日程前とのこと! 

ノリがいいというか、スピード感がすごいな~。 

打合せも真夜中まで6時間以上ネット上でしていたらしい。(大体三国志の話) 

 

 

テーマ「発信orDIE」について。 

発信は呼吸すること同じだという。 

呼吸していないと死ぬ。だから発信する。 

きっと、「頭の回転の速い方ばかりだから、情報のキャッチもリリースもとても早くて、そういうことを共有していく時代になる」、とかそういう趣旨なのかなーなんて思っていたら、 

「店がへんぴなところにあるから、ヴオオォォォ!!ここだよー!!!って声をあげていかないと誰もこない→生きていけない→DIE。」と話す平田氏。正直かよ。すげーわかりやすい。 

 

また、木村氏は「発信は呼吸することと同じ。呼吸することに飽きるということはない。ただ、深呼吸をしたり、息が浅くなったり。呼吸の仕方は変わる。発信も同じ。表現を変える」と話されていた。 

 

印象に残っていたのはリスクの取り方の話。平田氏や白水氏は商品を委託販売でなく、買取式で仕入れているという。あえてリスクを追うことで自分を追い込み、本気になる。木村氏も借金が8000万円あるという。あえてリスクを抱え込み、商品に、会社に、関わる人々に責任をとる大人。マジかっけえよこの人たち…!!やってこ!かってこ!うってこ! 

 

 

すごく具体的な、参考になるお話があった。 

それはSNSの使い分け 

今は単に情報発信と言っても様々な手段がある。 

それを目的・用途によって使い分けるというのだ。 

確かに私もTwitterを見る時とFacebookを見る時ではテンションというか温度が違う。検索したくなる、閲覧したくなる情報が違う。

今はFacebookやってないけどTwitterだけしてる人のためにどっちでも記事更新する、ではなく、皆どっちもやってるから、その媒体に応じて訴えていく内容を変更させ、企業イメージや親しみやすさの向上に繋げるとのことだった。なっるほどなー!! 

 

企業イメージの話では「キャラ立ち」についても話があった。 

それはミッキーだけでなく、ミニーもグーフィーもいたほうがいいよね!という話。 

これだけ言うとなにいってるかわからないと思うが、非常に言いえて妙であった。 

 

平田氏や柿次郎氏は自身はミッキーだと言う。 

それはお客様がお店に来る理由というのは〇〇店に来るというより、〇〇店の〇〇さんに会いにくる、ということ。 

でもそれだと自分がお店にいない時にお客様が来た時に、お客様ががっかりしてしまう。その対策として次のことをしたそうだ。 

 

1.SNS発信を自分以外の者にさせる。 

2.その者は自身のキャラ立ちをさせる。(当然に自身のキャラクターや立場に基づいたもの) 

3.その上で情報を発信させる。 

4.お客様に対して自身が接客できない時、 

お客様はそのスタッフに対して「あ、あのTwitterの△△さん?」と親しみが湧く 

情報発信はただセールです!と発信するのではなく、個人の感情をあえてリアルな憧憬と共に情報を発信し、AIにはできない生活感のある納得性や信ぴょう性を情報に乗せていくという。 

 

ただ問題を解決するだけでなく、自身の作業の分配化、スタッフの意識の向上化、その他すべてが良い方向に向いている気がする…万物の神かな? 

 

柿次郎さんもナカノヒトミさんや他のスタッフに対しても意識しているそう。 

すげーなー。ホントにもう他者をフックアップして、育てているんやな。 

言葉に背景や今までの積み重ねが乗ってくるとパンチ力が違う。昇竜拳と昇竜裂破くらいちがう。 

 

ちなみに平田氏は今まで発信してきたアカウントが自分の人生そのものだと話いていた。 

だからアカウントの更新が止まったら死ぬとき、引退するとき。それを防ぐために引き継げる人を作りたかったとの想いもあったそう。 

いちいちアツい。この人たち絶対前のめりで倒れていくタイプの人たちだ。 

 

 

バズるにはどうしたらいいのかという質問があった。 

 

・タイトルにインパクトのある一言を入れる 

・皆が思っているけど口にしないことを言う 

・皆とは逆のことを言う 

 

等が述べられたが、私が一番、ええ本当に最高に首を「うんうん」と赤べこのように降ってしまったのが 

 

かっこつけない、ということ。 

 

自分の血肉を、苦労を、経験をさらすこと。 

言葉だけではない、自分をつよくする。自分の生き方を示していく。 

 

背中で語るってこういうことね…。この人たちが言うから響くんだよな。 

やってこ!ってかやってる!人だもんな。そりゃバズるというか響きますわ。 

 

 

 

 

感想 

 

怖かったけど、行ってよかった。 

私の場合、(今は)情報を発信しなくても死なない。 

でも、 

彼らはその生き方を発信している。 

仕事と、生きていくことがリンクしているからだ。 

発信している?ちゃんと生きている? 

そう問われた気がした。 

仕事にモヤモヤしてるなら、その仕事をやりきれ!息をしない位全力で歯を食いしばってやりきってモヤモヤの向こう側までいけ。やりきってぶつけまくって事業にしちゃえ。 

私ならモヤモヤした時点でやめる。適材適所って言葉がある。型にはまらなくても生きていける 

さあ、私はどう情報を処理していくか。考えなくてはいけない。 

 

眠い。明日直す。

 

よくないやつ

つかれた。

もうつかれたよ。

 

うらやましがるのにつかれた。

くやしがるのにつかれた。

こわがるのにつかれた。

自分のことがキライになることにつかれた。

 

どうせ行って、「やっぱだめだった」

とか「俺みたいな場違いが行って恥ずかしいだけだった」

とか思うだけで、またいやんなるんだろうけど。

 

とりあえず行ってみよう。

だめならだめで、きっとすっきりするし。

(だめってなんだろう。俺はライターになりたいの?誰かに認めてもらいたいの?どうした時が【だめ】なの?)

 

 

わっかんねえ。自分の気持ちがわかんねえ。

 

行けばわかるかな。

 

 

 

発信orDIE参加どうしようかな。

カッキー怖いな。

キャンプファイヤー出資しました!とか言ったらウザいかな。

ナカノヒトミさんに話しかけてもいいかな。

おすすめのスポットとか聞いてもいいかな。

友光だんごさんいやなやつだったらよかったのにめっちゃいいひとっぽくてくやかなしいな。

うわーんこわいよー

完全にアウェイだよー

でも常にそんなところで生きている人達が生きているステージを垣間見に行くんだもんな。

多少ヘンなやつとか思われたっていいや!

あ!むしろその方が傷跡残せるんじゃね?

参加して、自分に言い訳できるようにしよ。

やっぱだめならそれはそれでね。

行動起こさないで指くわえているのが一番ストレスだもんな。

早めにくだけよ。

くっだけよ!(語呂悪)

 

なにがしたいのかわからない。

つらいことがあった。

でも、それは自分自身の今までの行動から、当然の結果だった。

因果応報。努力していない人間は報われない。

 

努力とはなんだろう。

なにを頑張ればいいんだろう。

どうすれば私は報われるんだろう。

 

努力

奴と力と力

 

奴が力をつける力

 

よく、RPGで闇の力を持つ魔王的なやつが「力が欲しいか…?ならばその命捧げよ!!」みたいな展開あるけど、それは努力じゃないよな?奴は力を欲していて、その身のすべてを捧げる覚悟があるのに。

 

そうか。

俺はそれすら出来ないからここにいるんだな。

 

すべてを捨てる覚悟もないくせに、現状に不満を持ち、それを変えようともせず逃げていき、また同じことを繰り返すんだ。

そこで生きる覚悟がないから。

 

俺が生きたい場所ってどこだろう。

 

一番最初に就職したところは

・家庭の当時の事情を鑑みた結果

・人事の人の対応がよかったし、会社理念に同調した

という理由で就職した。

 

辞めた理由は

・嫌いな後輩がいて、つらかった(今となれば弱い理由)

・会社の方針が変わって、嫌いな上司が昇進する環境になっていき、会社が嫌いになった

・家庭の事情がなくなった

あたりの理由が強い。

 

その次に入った職場はラクすぎた。怖かった。

 

その次が今の職場だ。

好きな点も嫌いな点もたくさんある。

 

今いる環境で、努力するのか。

(なにを?嫌いなことに目をつむる?それはやめようと声をあげる?私生活を充実させる?)

違う環境で、努力するのか。

(なにをするの?なにがしたいの?失敗したらまた繰り返すの?)

 

あーくそ。また頭をよぎってしまう。

いつもそうなんだ。

俺は馬鹿だから、やってみないとわからないんだ。

興味があって、でもそれは体験してみないとわからない。

くそう。やってみてえ。でもこえぇ。

やってこ!してみる。

最近の自分は、タイミングがすごい。

 

今日、見るのがつらかった『パラレル親方』にに参加された方のブログを全て読み終わり、『くそー!!やっぱり行けばよかったーー!!』という思いで、このブログもなんらかの形で更新しようかと思っていたら、先に柿次郎さんのFacebookが更新された。

 

しかも『パラレル親方のその後についてのイベント開催』という内容。

 

 

 

 

 

えにしかよ~~~~~~~~~~

 

 

 

 

ビビりの俺だけど、もう送っちゃったもんね。

柿次郎さんに参加したいってFacebookで言っちゃったもんね。ヒー!!!!キャアアアアーーーーー!!!!!!!

 

 

こんなクソみたいな文章しか書けないからライターになりたいけどなれないだろうとは薄々気付いている。

 

でも、ちょっとだけ夢見させてよ。

夢の中で違う目標が見えるかもしれないし。

 

なんもしないより、行動しないと!DOだDOだ!!(鼓舞)

 

 

今の気持ち

多分、自分は変わりたい。

 

柿次郎さんみたいになりたい。

増田先生みたいになりたい。

 

特に柿次郎さん。

彼には生きる力を感じる。

 

好きな所に行って。

好きなことをして。

 

土地を愛し。

土地に住まう人を愛し。

土を愛し。

生を愛している気がする。

 

対して私の現状を見てみると

 

ずっと地元暮らし。ここは好きな土地。

だけど縛られている気もする。他を知らない。

好きなことはテレビゲーム。

けどそれもやりたいソフトがなく、昼間から酒を飲んで時間を浪費していることがある。

…もっと好きなものがあった。

姪、甥。

子どもが好きだ。

かわいい。嘘がない。全力で生きている。打算がない。一生懸命。日々成長している。

子どもは奇跡の塊みたいだし、可能性だし、未来だと思う。

当たり前のことばかりだけど、この年になって本当の意味で理解した。

やはり、体感しないと私は物事を理解することが出来ない。

 

土地を愛していたが未来が見えず。

土地に住まう人の現実を知り、更に絶望し。

それでも、大事な人が帰ってくるこの土地は大好きだ。

 

生は好きだ。

おいしい食事とか、健康になれるものには興味がある。

でも人生楽しくないから私が長生きしたいとは思わない。

好きな人たちに長く生きしてほしい。

 

好きなことをしていたら、好きなところに辿り着いている、みたいな記事が柿次郎さん関係であった。

 

胸に刺さった。

 

増田先生の記事でこんなことを言っていた。

 

社会システムが成長するほどに、人間個人は弱くなっていく。

この状況に無自覚のまま生きていくと、

いざという時、何の役にも立たない人間になってしまう。

そう、なりたくないから、私は起業家という生き方を選択し続けている。

 

 

胸に刺さった。

 

 

何の役に立たない人間

 

現状維持することはラクだ。

ただ、そこに私の人間としての成長はあるのだろうか。

誰かに必要とされる、役に立てる人間になれるのだろうか。

 

好きなことをするって勇気がいる。

選択をすることだからだ。

流されず、自分の意志決定をすることだからだ。

 

 

柿次郎さんや、増田先生の真似事をして、こうして文章を綴っている。

 

…久しぶりに、文章を書いている気がする。仕事で文書作成をするが、全然違う。

気持ちを吐露する機会って案外少ないんだな。

中学生の頃の日記とか、黒歴史作詞以来に文章を書いているがする。

 

そして内容も、中学生の日記とあんまり変わっていない気がする。

 

実家にいまだに当時の日記とか詩は残っている。

普通の人からしたら恥ずかしくて処分したいものなんだろうけれど、

私は今見ても『そんなに悪いモンでもねえな。笑』と思ったからだ。

日記は思春期特有の青臭さはふんだんにあるが、

当時の私は

 

『友達がいる。なんにも持っていない私だけど、友達には恵まれた。』

 

こう綴っていた。(そんな彼らとも疎遠になってしまったが。)

 

 

そういうことか。

私の本質は。

やはり文章はいい。

書き綴っているうちに核心が見える気がする。

 

 

私は、尊敬出来て、信用できる仲間と、自分の足で立って、自分の手で出来る人生を歩みたい。

 

 

それが出来ている気がするのが彼らだったんだ。

 

私にできることってなんだろう。

柿次郎さんの記事で『幹事とか、掃除とか、みんなが面倒だと思うことをやれ。その領域で自分の好きなこととかできることをやれ。それがなにもない自分の出来ることとなる。』

と言っていた。

 

私に出来ること、生きる力はない。

なにもない。

いわゆる役に立たない人間だ。

 

私の生きてきた経験で、面倒なこと、誰もやらないことってなんだろう。

 

真似をするだけじゃダメなんだ、きっと。

私は31歳だ。変わるには残された時間が短い。むしろもう遅いかもしれない。

 

なにが出来るか。

どうすれば、自分の人生に納得が出来る生き方が出来るのか。

考えろ。

いや、考えんな。

DOだ。やっていかなくちゃいけない。

 

ああまた真似ばかり。

 

それでも刺さる言葉が多すぎるんだ。

 

 

 

 

 

あんまり個人名出すのよくないけど書いちゃおう。

ただの日記だ。

 

【ぼっちなら誰かを誘って行け!】アラサーなら絶対に楽しめる所へ行ってきた。

こんにちは!キタカンです。

標題の件についてレポします。

 

絶対って言葉はあんまり多用したくないんですけど。

それでもココはイイ…!!

 

それは?

 

 

週刊少年ジャンプ展VOL.2 やーーーーー!!!!!!!!

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詳細は公式を確認してください。

shonenjump-ten.com

 

私は『なぜ絶対に楽しめる』と表現したのか。

それは、単純に懐かしいから。

でも懐かしいって感情って個人によって抱く対象が別個になると思うんだけど、それがこのジャンプ展のすごいところ。

 

 

ドラゴンボールスラムダンク幽☆遊☆白書

 

 

これを1つも知らないアラサー男子っているんでしょうか。

私は結構変わっていて、当時ドラゴンボールって漫画も読んでいなかったし、アニメも見ていませんでした。

(姉がいた影響で当時はセーラームーン派でした。)

それでも、ドラゴンボールのカードを何故か駄菓子屋で集めていた記憶がありますし、友達と『かめはめ波』を出す練習をしたりしていました。笑

 

そこから波及してバトエン(!)の話になったり、

何故小学校ではNOTシャープペンシルYES鉛筆なのか、

使用頻度低いくせにかっこいい文房具四天王(三角定規、コンパス、分度器、もうひとつは…??)等、

懐かしい』は話題が豊富になります。

もちろん、知ってる漫画の展示では大いに漫画について語りたくなります!!

 

展示の仕方も対象者を『広く浅く』としている印象で、当時の社会現象(たまごっち、ポケモン…!!)と併せてジャンプの歴史を紹介していて、ライト層でも入りやすい仕様となっていました。

(コアな方はコアな知り合いと行くとクソ楽しいんだろうな…)

 

以上が、『アラサーなら絶対に楽しめる』の理由です。

ひとりでも楽しいと思うけど、あんまり親しくなくてもいいから誰か誘って行ったほうが楽しいと思います。ホント親しくなくても、久しぶりに連絡取る人とかのが逆に楽しいと思います。現役ぼっちな悲しいアラサーにホントおすすめです!

 

 

 

うるせえ、ぼっちなおっさんで悪いか、コノォ

 

 

はじめたキッカケ。

文章を書くってむずかしい。

いや、文章ならまだマシだ。

自分の思っていることを誰かに伝えるってすごくむずかしい。

例えば、『今日あった出来事』について話そうとした時に、

『今日』あったことについて感想を抱くことは、

『過去』あったことの感想(経験)に基づいて話すから、

最終的に100%、私の思ったことを表現することは無理だと思う。

 

例えば。今日あった出来事だ。

取引先の人に『○○って飲食店おいしい?』と聞かれた。

正直、私は馬鹿舌だから大概のものはおいしいと思う。

その店もまあ悪くはないと思っていた。

(ただ値段が少し高いとは思っていた。ランチで900円~よ?)

しかし、会社のグルメな方達によると『いまいち』とのことであった。

取引先の方も、なんとなくグルメな雰囲気が漂っている。

さあ、私はなんと答えるべきか。

あまりマイナスなことは言いたくはない。

しかし、単にベタ褒めして『勧められたから行ったのに微妙だった。』

と思われて無駄なところで私の心象を下げたくもない。

ううむ。

文書で回答できるなら推敲も出来るし、まあ多少長くなっても許される気がする。

しかし会話はリズム感が大切だ。

そこで時間をとって考え込んでしまってはその時点で私の心象に影響が出てしまう。

リズムゲーは苦手なんだ。

デレステナナシスもフォトカツも3曲位でギブアップする程に苦手なんだ。

ああ、どうしよう。どうしよう。

 

色んなシナプスが脳内で駆け巡りながら私が出した答えは

 

 

『上品な味でしたね。』

 

 

どうだ。プラスなイメージがありつつも曖昧。

これはベストチョイスワードだぜ、俺!

なんて思っていたら、

 

 

『いや、美味しいのかそうでもないか聞いてんのよ。』

 

 

 

 

(*´∀`*)デスヨネーーーーー!!!!

 

わかる。俺も友達にだったらそう言う〜!

でも私とあなたの距離感〜!察して〜!言っていいことと微妙なことのラインってあるじゃん〜〜〜?

いや私そういうのあんまり気にせずぶっちゃけ話したい派なんだけど出来ない状況もあるし、言ったらあんた拡散しそうじゃん〜〜〜??

 

追撃にテンパった私は、

 

 

『味はまあいいんですけど、お値段が少し高めなのと、忙しいからか少し料理が冷めて提供されたことがあって(←あった)そこは少し残念でしたねー(半笑い)』

 

と、本当のことを言ってしまったよ、結局。

そしたら相手も『それはちょっと残念ね。』って納得してくれたよ。アッサリ。

 

このように会話ってむずかしい。

てか、生きるって、働くってむずかしい。

そんな私が語彙力や文章力を磨くのに、とりあえず練習の場を設けよう、と思って始めたのが、この場になります。

(ブログを書いていたら、やっぱり素直な感想を言うのが1番いいのかな、と思った。

 やっぱり文章にすると発見があるなー。

 今の人はこういった行為をもってして

 『アウトプットが大切!』って言ってたのかー。

 日本語じゃないから余計わからんかったわー。アハハハハ)

 

 

以上、ご清聴ありがとうございました。

m(_)m